日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

軍票は回収すべきか その1

すでに引用したことがある、
南方開発金庫調査課『軍票の回収に就いて』(昭17.11)では、
軍票回収論および回収不要論について分析し、回収不要論をとることを主張しています。
以下、それについてみていきましょう。

(なお同書の表紙には「金調第十三号」と記されていますが、「本稿にて述ぶる所は私見にして当金庫としての所見にあらず」との但書があり、「栗野原」との署名があります。)


まず軍票回収論について。
従来、軍票は作戦終了後、速やかに回収することが常識になっていたとします。
そして、第二次欧州大戦において、ドイツの軍票が速やかに回収されたことを紹介しています。


ではなぜ軍票を速やかに回収するのでしょうか。


軍票を独立の通貨として扱うことの欠点は、
経済情勢に応じて発行数量を伸縮できないことです。

軍票を回収せず之を独立の通貨として流通せしむるにつき決定的な欠陥はそれが経済界の情勢に応じてその発行数量を伸縮し得ないといふことである。何故ならば軍票政府紙幣の性質をもつてゐるからである。一般に政府紙幣は財政上の理由で増発される危険を蔵するのみでなく経済界の情勢に応じてその数量を調節せしめること極めて困難である 況んや軍票に於いてはその発行必要量が戦争の経過により無限に不規則になるばかりでなく、平常の経済組織が混乱に陥つてゐる占領地にては通貨調節は実際問題として不可能である。


またドイツが軍票を速やかに回収した理由に関して、
占領地の中央銀行を利用するためであると述べています。


占領地中央銀行を利用することのメリットは三点あります。


第一に、面倒な通貨工作を被占領国に負担させ、
協力が十分であれば、占領国側の機関がやるより円滑に進めることができること。


第二に、被占領国住民にいつもと同じ通貨を使用させ、
住民の自国貨幣に対する自負心を傷つけないで済むこと。


第三に、インフレーションが発生した場合、
軍票使用の時には、責任が占領国側にあるように住民の眼には映るが、
中央銀行券使用の時は、中央銀行および被占領国に責任があるように映り、
責任転嫁できること。


以上の三点があげられています。



次ぎに軍票回収不要論に移ります。


なぜ軍票を回収してはいけないのでしょうか。
一旦、流通過程に入って、通貨として円滑に機能しているものを
無用の混乱を引き起こすリスクを背負ってまで回収する必要はない、
というのがその理由とされます。

軍票は成程その使用の当初は専ら軍の必要とする物資、労務の調達にあつたことは事実としても一旦軍票が流通過程に入りそれに対する工作宜しきを得て一箇の独立の通貨としての機能を営むことが出来るやうになつたとせば、敢てそれを回収するに及ばない


そして、回収不要論の立場に立って、さきの回収論の反駁が考察されます。


まず、中央銀行といえども、戦争と開発の両面を遂行していかなければならない状況では、
自己の裁量だけではなく、占領国の要求に従って通貨を発券しなければならない、
すなわち中央銀行券は、必ずしも経済的伸縮性をもっていないことが指摘されます。


また、軍票の発行や流通を軍当局ではなく、適当な第三者機関に委譲すれば、
伸縮性をもたせることができるとされます。


そして最後に、「大東亜共栄圏」に対するものすごい楽観論によって、
中央銀行を利用する必要はないと主張します。

今や我国は多数の司政官を南方に送りしつかりと足を地につけて確固たる軍政を発展せしめようとしてゐるのであるから、何も在来の敵性の機関を用ふる必要もないし、又心理的に見ても我が軍票支那に於いて見られたやうな敵意をもつて迎へられることなく寧ろ喜んで受取られゐるのである。インフレーシヨンの責任問題にしても、もしそれが発生するとせば云ふ迄もなく我国の戦時的要請に基づいて起こるものであるから実質的には何等責任の転嫁とはならない。たゞ僅かに住民の眼から見て責任の所在が異るかに見えるに過ぎないのである。考へ様によれば軍票を使用することによつて、軍自らのインフレーシヨン防止に対する関心が却つて高められ通貨工作上有利だとも云へよう。


若干、意味がとりづらいのですが、
占領地住民に関してはあまり意に介していないことが窺えると思います。


以上の回収論、回収不要論を踏まえた
大東亜戦争軍票回収の是非」の部分については、また次回にします。