なぜ師匠はすぐに技を教えないのか
NHK朝の連続小説『ちりとてちん』において、
主人公はようやく弟子入りが認められ、内弟子生活がスタートしましたが、
掃除洗濯だけの日々に不満をこぼしています。
なぜ師匠はすぐに技を教えてくれないのでしょうか。
この点に関して、
外山滋比古氏は、『思考の整理学』で以下のように述べています。
- 作者: 外山滋比古
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1986/04/24
- メディア: 文庫
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入門しても、すぐ教えるようなことはない。むしろ、教えるのを拒む。剣の修行をしようと思っている若ものに、毎日、薪を割ったり、水をくませたり、ときには子守りまでさせる。なぜ教えてくれないのか、当然、不満をいだく。これが実は学習意欲を高める役をする。そのことをかつての教育者は心得ていた。あえて教え惜しみをする。
じらせておいてから、やっと教える。といって、すぐにすべてを教え込むのではない。本当のところはなかなか教えない。いかにも陰湿のようだが、結局、それが教わる側のためになる。それを経験で知っていた。
頭だけで学ぶのではない。体で覚える。しかし、ことばではなかなか教えてもらえない。名人の師匠はその道の奥義をきわめているけれども、はじめからそれを教えるようではその奥義はすぐ崩れてしまう。売家と唐様で書く三代目、というのとどこか似ている。
秘術は秘す。いくら愛弟子にもかくそうとする。弟子の方では教えてもらうことはあきらめて、なんとか師匠のもてるものを盗みとろうと考える。ここが昔の教育のねらいである。学ぼうとしているものに、惜気なく教えるのが決して賢明でないことを知っていたのである。免許皆伝は、ごく少数のかぎられた人にしかなされない。
師匠の教えようとしないものを奪いとろうと心掛けた門人は、いつのまにか、自分で新しい知識、情報を習得する力をもつようになっている。いつしかグライダーを卒業して、飛行機人間になって免許皆伝を受ける。伝統芸能、学問がつよい因習をもちながら、なお、個性を出しうる余地があるのは、こういう伝承の方式の中に秘密があったと考えられる。
(17-18頁。読みやすいように適宜改行した)
「グライダー」は、受動的にしか知識を得られないこと、
「飛行機」は、自分でものごとを発明、発見できることの比喩です。
以上のような学びのあり方は、
月謝が必要となるスクールのようなあり方とは全然ちがうものですね。
お金を媒介とする契約の関係では、
弟子は教わる権利を主張しがちですし、
師匠も教える義務を感じるでしょう。
ハングリーさをどう保つか。
人間は、何でも手に入る環境に身を置くと、それに甘えてしまうのでしょうね。