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日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

発話者のポジションへの着目


人が歴史とかかわる力―歴史教育を再考する

人が歴史とかかわる力―歴史教育を再考する


著者は、歴史教育において、生徒が「歴史」の「消費者」であるという視点が重要であるとする。

これまで歴史教育の現場では、「歴史的思考力」ということが取り上げられてきたが、歴史的思考力にも「生産者」(歴史学者)のそれと、消費者のそれの二種類あると考えるのが妥当であろう。前者は、歴史学者が過去を探求し「歴史」を作るにあたって必要な思考力のことである。そしてそのような歴史的思考力は、一部の者が大学の専門課程にはいってから学ぶべきものである。歴史学者になるのではない大多数の生徒が高校段階で学ぶ必要はない。それに対して、「歴史」の消費者のもつべき歴史的思考力とは、「歴史」と付き合う力、「歴史」とかかわる力のことである。「過去」のひとつの切り取り方である「歴史」とかかわっていく能力のことである。
「歴史」はだれかの生産物であるとすれば、常にその「歴史」がだれのものなのか、その発話主体に着目する態度が習い性になるように、そのような姿勢と能力を「歴史」教育において身につけさせる。
(114-115頁)

人は過去と向き合うだけではなく、同時に「現在」と向き合っている。大切なことは、過去の復元ではなくそこに紛れ込んできた「現在」の解読、そこに隠された主題の解読にあるのではないだろうか。そのため、発話主体に着目させること。そのような姿勢と能力を身につけさせることが学校における歴史教育に期待される目的の一つではないだろうか。
(115-116頁)

発話のポジションへの着目とは、この発話者がどのような未来を指向しているかを問うことでもあろう。過去を描くということは、現在とどのように向き合うかということにほかならない。人は語るときしばしば自己の本性を露わにする。語りの内容だけではなく、語られることによって露わになる自己の本性への着目である。これからの時代を生きていくうえで求められるのは、そのように問いを吟味する力であろう。
(166頁)


例えば、バスガイドが「右手をごらんください」と言った場合に、
指の長さとか腕の綺麗さに見惚れるのではなく、その先に何を指し示しているかが重要であるのだ。


言葉はもっともらしいものであるから、
その言葉の先に何があるかを見極めることが重要となる。


著者は、人権に関して教える場合、
ポイントは「人権の普遍性」の是非ではなく、
誰が「人権の普遍性」を主張し、また誰がそれを否定してきたのかに目を向けることが
大切であるという(163頁)。



近代の日本をいたずらに正当化しようとする言説の向こうには、
国家の軍事的発動に対する強いシンパシーがあるのだろう。
端的に言えば戦争をしたいのだと思う。
大戦争にならない程度の火遊び、軍事的圧力を他国にかけたくて、
強い国家意思の発動を見たくて、国論の盛り上がりに浸りたいのだと思う。
戦争に対するネガティブな評価は邪魔なのだろう。



ただ、言葉の先にあるものに共感し、そっちのほうが重要なので、
語りの内容そのものにはちょっとした誤謬があっても構わない、
あえて騙されるという態度にはどうするか。


また、誰の語りに着目するとしても、相反する語りが複数ある場合、「消費者」として、
それらの語りを比較する基準を何に求めればいいのか。