日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

公文書管理法案と田母神「論文」


毎日JP 「論壇:この1年 中西寛さん、武田徹さん、加藤陽子さんの3氏が語り合う

武田 福田氏は最近では珍しく歴史志向が強い首相だった。公文書管理を「将来に向けた公共事業」と述べた発言などがその典型だ。具体的目標を拙速に唱えた安倍政権の轍(てつ)こそ踏まなかったが、消費者庁設置のように長い時間スパンで政治の質を変える政策を打ち出しても、支持する世論がもはや存在していなかったのは不幸だった。


福田前首相は、官房長官時代から公文書管理法制の検討に取り組んできた。
日本における文書管理担当職員の整備は脆弱であり、他国と比べても管理体制は見劣りする。

先月、加藤氏も参加する有識者会議の最終報告がまとめられ、小渕特命相に提出された。


http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/koubun/index.html


同報告は基本認識として、国民主権の観点から公文書の意義をとらえている。

民主主義の根幹は、国民が正確な情報に自由にアクセスし、それに基づき正確な判断を行い、主権を行使することにある。国の活動や歴史的事実の正確な記録である「公文書」は、この根幹を支える基本的インフラであり、過去・歴史から教訓を学ぶとともに、未来に生きる国民に対する説明責任を果たすために必要不可欠な国民の貴重な共有財産である。


公文書管理法案は、何事もなければ、次期通常国会に提案の予定。
歴史学専攻の院生にとっては、就職口の観点からも関心を集める法案である。


毎日JPの記事に戻って、加藤氏の発言

加藤 田母神論文が話題だ。同氏は、条約や国際法によって承認された日本の権益を、中国が不法に侵害したので日本はやむなく日中戦争に「引きずり込まれた」のだと書く。日本の合法性と中国の不法性を対比させる論法は満州事変前の軍のプロパガンダと同じ。だが、日本側と中国側が考える条約の内容には元来ズレがあった。


日本側と中国側の条約解釈のズレについては、
加藤氏の著作『戦争の日本近現代史』(講談社現代新書1599、2002年)第9講に詳しい。


日本側が中国側による権益侵害を主張した間島における商租権問題については、
「間島ニ関スル協約」(1909.9.4)と「南満洲及東部内蒙古に関する条約」(1915.5.25調印)の間の
整合性に関して、解釈にグレーゾーンがあった。
特に「南満洲及東部内蒙古に関する条約」締約の際に、
同条約と矛盾する「間島ニ関スル協約」の条項を明確に無効としておく必要があった。
外務省も中国側と同様の条約解釈を一旦はとったものの、
朝鮮総督府などの反対によって解釈を変えるなど、ブレがあった。


また満鉄併行線問題について、日本側は、
満洲に関する日清条約附属取極」(1905.12.22)における

清国政府は南満洲鉄道の利益を保護するの目的を以て、該鉄道を未だ回収せざる以前に於ては、該鉄道付近に之と併行する幹線又は該鉄道の利益を害すべき枝線を施設せざることを承諾す

との条文を根拠に、中国側の権益侵害を主張する。


日本側は満州事変期には同取極を「条約」であると主張するが、
締決当時においては、日本側も「北京会議中の約束」であると認識していた。


「付近」「併行線」「利害を害すべき枝線」の定義についても曖昧なものであり、
特に「付近」の解釈は、何マイル以内と機械的に決まるものではなく、
その都度の外交で繊細に再定義していくしかないものであった。
さらに日本は、ソ連との対抗上から中国の鉄道敷設を積極的に許可していた時期があった。


加藤氏は、

そもそもの問題となった条約あるいは取極が最初に日中間に締結されたときには未だ生きていないリアルな認識が、論争の過程で失われていったこと、そしてきわめて原理的な対立として、不退転の決意で問題化されてしまったことがわかります。満州事変が起こされる以前にすでに、完全な二分法による、絶対的な怒りのエネルギーが蓄積されていた様子がうかがえるのです。
(268頁)

と述べている。


田母神「論文」も「日本の合法性と中国の不法性」という単純な二分法を用いている。
満州事変が謀略であると知らされなかった当時の国民に、関東軍の行動を支持させたのが、
「日本は正義」「中国は条約を守らない国」という二分法であった。


政府の情報開示は、公文書管理の問題とも関連するが、
情報の隠蔽と単純な二分法が組み合わさると、惨事を招くことを史実は示唆している。


上掲の条約の条文や締結過程に関するする史料は、
国立公文書館が運営するアジア歴史資料センターで公開されている。
ちょうど今、「条約と御署名原本に見る近代日本史」という特集が組まれている。
この「貴重な共有財産」を使わない手はない。