日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

南京事件の被害についてどのような史料に基づいて認定するか

歴史の事実をどう認定しどう教えるか―検証 731部隊・南京虐殺事件・「従軍慰安婦」

歴史の事実をどう認定しどう教えるか―検証 731部隊・南京虐殺事件・「従軍慰安婦」


笠原十九司氏の発言をまとめると以下のようになる。


まず前提作業として、
第一に、「南京事件が発生した地域の地理的な状況を理解しておく作業」が必要となる。
笠原氏は、実際に現地を調査しており、
また「折あるごとに南京の写真、とくに航空写真や俯瞰図、地図などを見て、南京の地理的概念を豊富」にする。


第二に、「南京事件の背景となった当時の南京の歴史的社会的状況をできるだけ歴史実態にそくして豊富にイメージしておく作業」。
必ずしも事件に関係しないことでも、当時南京に滞在した人からヒアリングを行ったり、
兵士の日記や体験記、写真集や紀行文、雑誌、新聞などにより南京の社会や時代のイメージを豊富にしておく。
笠原氏は、占領下の南京にいた『ニューヨーク・タイムズ』の記者ダーティンと『シカゴ・デイリーニュース』の記者スティールのヒヤリングを行っている。


以上の前提作業をふまえ、様々な史料から「立体的に事実を明らかにして」いく。

たとえば、中国兵の虐殺については、日本軍側の資料、中国軍側の資料、それと第三国人の資料としてアメリカ人の資料を使っています。日本軍の資料では、偕行社の『南京戦史資料集』と『南京戦史資料集II』、南京攻略戦に参加した諸部隊の資料を編集したものをよく使用します。中国軍側の資料としては、南京防衛戦に参加した将校の記録を集めた中国人民政治協商会議全国委員会編『南京保衛戦』などがあります。この両方を突き合わせて、内容が照合しているものについては事実であると認定していいわけです。
(90-91頁)


一方、民間人の殺害*1については史料的に解明が難しい。

民間人の殺害について実数の解明が非常に難しいのは、日本軍の資料では民間人が混じっていたという程度の資料だけで具体的な数は書かれていないし、中国側の資料は目撃者の見聞ですから、必ずしも正確とは言えない点です。また、外国人の資料は、当時、外国人は難民区内とその周辺で活動していたわけですから、彼らが見たのは場内でのことが中心になります。
(92-93頁)


また民間人の犠牲者に関する史料としては、埋葬記録がある。

民間の犠牲者の資料では、もう一つ、南京陥落後しばらくしてからですが、死体の埋葬作業を中国の慈善団体がやっていて、その埋葬諸団体の記録の合計が一八万八六七四体となります。この記録には戦闘中に殺害された兵隊の死体も入っていますし、埋葬作業のダブりもカウントされていますが、それでも一つの判断材料になります。
(93頁)


強姦については、難民区の記録がある。

南京で難民区を組織していた南京安全区国際委員会の人たちが、強姦の実態についてはかなり記録して、南京の日本大使館に報告していますが、これも南京城内の難民区を中心とした記録です。
(93頁)


城内区より被害が大きかったと推測される近郊農村の史料は、
日本側が強姦に関して公には記録することがないため、なかなか残らない。
元兵士自らの強姦体験の証言、また被害者による証言も難しい。


農村の被害に関しては、今後のヒアリング調査によって解明の可能性があるという。

南京の近郊農村における被害については、今後の調査によって明らかにできる可能性があります。私自身華北の農村で調査をした経験から、農村の場合、村中で殺害された人数は村民が記憶していますから、各村でヒヤリング調査をして集計すれば、かなり実数に近いものがわかります。中国では九五年の抗日戦争勝利五〇周年に前後してこの種の詳細な調査を全国的に行い、各県の『県誌』に収録していますので、南京近郊についてこのような村、鎮、県単位の調査が行われていれば、それらを整理、集計すればいいわけです。
(98頁)

*1:笠原氏は、「民間人被害で大きかったのは、南京陥落時に敗残部隊といっしょになって避難した民間人が日本軍の殺害にあったという被害、占領後の敗残兵狩り、つまり日本軍が難民のなかから敗残兵を狩り出して処刑したときに巻き込まれて殺害された民間人がかなりいます。あとは、攻め入ってきた日本軍に驚いて逃げようとした民間人が殺されるというような状況もありました。」(92頁)と述べている。