日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

黄燐にはどのような毒性があるか

黄燐の毒性は、古くから知られており、
黄燐による害について記した文献は、枚挙に暇がない。
その害は、以下の六つに分類できる。

  1. 摂取による害
  2. 酷い火傷
  3. 火傷に止まらない毒性
  4. 短期間の吸入による害
  5. 長期間の吸入による害
  6. 環境への害


以下では、戦前日本の文献を中心にみていこう。


(1)摂取による害


鴨居武『無機化学講義』1911年、151頁

非常なる毒物にして稍多量に摂取するときは数時間にて死去す少量にても痙攣其他の病状を惹起す故に日常此者を取扱ふ職工の如きは顎骨に中毒を受け労働を為し得ざる如くなること少なからず。

著者は、工学博士。ここでは、長期間の吸入による害についても言及されている。


近藤耕蔵編『新制化学教科書』1925年、74頁

黄燐は恐るべき毒物にして其0.15瓦は人を殺すに足る。殺鼠剤として用ひらる。

著者は、東京女子高等師範学校教授。


(2)酷い火傷 および (3)火傷に止まらない毒性


羽田清八『中等化学新編』1900年、122-123頁

燐ノ発火ニヨリ負傷セシ時ハ直チニ治療セザレハ骨ニ達スルノ腐蝕ヲ生スルニ至ル

著者は、理学士。黄燐の毒性に関して、「骨ニ達スル」という表現は、古くからなされていることがわかる。


倉林源四郎『理化学講話』1925年、424頁

燐は発火し易き故火傷を受けることがある、其の火傷は単なる火傷でなく燐の毒のため癒え難きものである

著者は、東京高等師範学校教授。


S.ローズ編『生物化学兵器みすず書房、1970年、101頁

燐に関していえば、この化合物はすさまじい火傷を与えるのは勿論のこと、重症の中毒と肝腎炎(肝臓と腎臓の中毒)をひきおこす。これになれば、火傷が軽度にみえる場合ですら、ほとんど死亡する。事実、燐は燐酸という強い酸に変化して、皮膚および皮下組織に深く滲透し、ついには全身に広がる。

本書は、1968年に開催された生物化学兵器に関するロンドン会議に提出された報告書をもとに、まとめられたものである。同会議は、J・D・バナール平和図書館が主催し、医師、ジャーナリスト、国際法学者、物理学者、植物学者、免疫学者、薬理学者、生物学者など各専門家が出席した。編者は生化学者。


(4)短期間の吸入による害

前掲『中等化学新編』122頁

甚タ有毒ニシテ少量ヲ吸入スレバ致死ノ因トナル


中村隆壽『化学兵器の理論と実際』1937年、161-162頁

 黄燐は60℃にて発火し青白色の焔を発して燃焼し酸素に触るるや忽ち火を発し五酸化燐の白色微粒の固体を生じて発煙す。
  2P2+5O2→2P2O5
 五酸化燐は空気中の水分と作用して燐酸を生ず。従て煙は五酸化燐、水蒸気及燐酸の混合物なり。
  P2O5+3H2O→2H3PO4
 黄燐は皮膚に火傷を生じ其蒸気を吸入すれば傷害を受く。

著者は、陸軍工兵中佐・工学博士。
五酸化燐(五酸化二リンとも呼ばれる)→燐酸
という推移については、短期間の吸入による害について詳しくみていく(後日エントリの予定)際、
必要になってくる知識なので、関心のある向きは銘記されたい。


朝日時局読本『国防と軍備』1937年、92-93頁

発煙剤の主な目的は煙幕をつくることにあるが、弾痕認知、信号などのため着色煙構成などにも用ひられる。煙幕は味方を遮蔽するために用ひられ、また毒ガスの一種として用ひられることもある。煙幕には発煙剤を用ひるほか、不完全燃焼の煤煙を利用することもあるが、概して白煙幕の方が優れてゐる。主なる発煙剤としては黄燐、無水硫酸、塩化スルホン酸、四塩化錫、四塩化チタン、四塩化珪素等がある。無毒発煙剤としては、亜鉛末、四塩化炭素、珪藻土酸化亜鉛の合剤によるいはゆるベルガー混合剤が有名である。

黄燐は、毒性のある発煙剤の範疇に含まれていることが見て取れる。


(5)長期間の吸入による害

二階源市『高等小学新理科書解説』1926年、337頁

極めて有毒で、これを取扱ふ職工は、その蒸気を吸入するので往々不治の病を起す。

著者は、東京府豊島師範学校教諭。


浜幸次郎・稲葉彦六『新理科書』巻4、1901年、52頁

黄燐は、体温或は空気の常温にても発火し、且、非常なる毒性を有し、骨の病を起すものなり。

浜はのち山梨県師範学校長、稲葉は、東京高等師範学校教授を務めている。


(6)環境への害
前掲『生物化学兵器』101頁

人間にたいする毒性のほかに、家畜、家禽、魚類にたいする害が考慮されなければならない。魚類はベトナム農民の蛋白源の大部分を占めているから、もし燐爆弾か燐砲弾が養魚場に投下されれば、農民は中毒することになる。

この記述は、ベトナムにおける生物化学兵器の使用状況に関する章でなされている。