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日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

台湾植民地戦争とは何か

植民地

荒川章二氏は、1995年の時点で次のように述べていた。

今からちょうど一〇〇年前、一八九五(明治二八)年四月十七日の下関講和条約調印で、日清戦争は公式に終結した。そして現代の我々日本人は、それをもって、以後日露戦争まで、日本軍の対外的武力行使が中断されたものと思いがちである。しかし、条約の結果日本に割譲されることになった台湾では、割譲に反対して台湾民主国建国が宣言され、日本軍の占領に対し激しい武力的抵抗が展開された。…狭義の日清戦争に引き続いて、講和条約を起点として「別の新戦争」が始まっていたのである。
(荒川章二「台湾の植民地化と郷土兵」『沼津市史研究』4、1995、91頁)


すなわち、下関講和条約直後の台湾については、
いわば、歴史認識のエアポケットになっていた。


実際、通史の叙述をみても、講和条約調印で次の話題に移っているものも少なくない。
その点、原田敬一『日清・日露戦争』(岩波新書・新赤版1044、2007)が、
台湾征服戦争」として、一章を割いているのは、
日本にとって、植民地台湾が持った意味を鑑みても、
近年になり、認識が深化しているといえよう。


台湾と新たに別の戦争が行われたとして、
「台湾植民地戦争」と呼ぶことを最初に提議し、盛んに論じたのは、
大江志乃夫氏であった。


大江氏は、20年に及んだ戦争を3期に区分している(同『日露戦争と日本軍隊』立風書房、1987、45頁)。

【第1期】 1895.5〜96.5
台湾民主国を崩壊させ、一応台湾全土を軍事的に制圧するまでの征服戦争の時期
【第2期】 〜1902
日本軍の軍事的制圧下で武装蜂起による中国系平地住民のゲリラ的抵抗がつづけられた
【第3期】 〜1915
第2期につづき、台湾における少数民族である山地系原住民に対して軍と警察による包囲網縮小の作戦が進められた


大江氏は、厳密に使い分けていないときもあるが、特に第1期を「台湾征服戦争」と呼んでいる。そして、前回述べた、檜山幸夫氏の言う「日台戦争」は、この第1期に該当する。3期全体を通して眺めれば、第1期の位置づけがより明らかになる。


第1期は、正規戦争の性格が強い。
第一に、軍制の面では日清戦争に引き続いて、「戦時」として措置されている。


投入された兵力は、
【第1期】
戦時編制の野戦師団2個師団
【第2期】
1896.4 平時編制の混成旅団3個(各旅団は、歩兵2個連隊、騎兵1個中隊、野戦砲兵1個中隊、工兵1個中隊)、要塞砲兵2個大隊、台湾憲兵隊
1898 歩兵6個連隊による編成に換わり11個大隊で編成、野戦砲兵中隊を大隊(2個中隊編成)に拡充
【第3期】
1905 混成旅団数が2個に。5大隊旅団と6大隊旅団に分かれ、砲兵大隊は、3個中隊編成の2個大隊に改編。
1907 混成旅団を廃止し、台湾守備隊2個に縮小。各守備隊は、歩兵1個連隊と山砲兵1個中隊。


日清戦争に引き続く、特別賜金給付、軍功行賞、従軍加算の期限延長(第1期に対応)については、前回みたとおり。


第二に、戦争における死没者の状況を後の時期と比べると、第1期は「比較的に正規軍戦争的な性格を残していた」(大江前掲書、56頁)とされる。植民地戦争では、身分別にみると、軍人ではないその他の非戦闘員の死亡率の高さを特徴とする。第1期においても、日清戦争と比較すれば、その他の占める割合は高い。以下は、大江前掲書、59頁表による。











死因戦闘死病死合計
身分軍人その他軍人その他軍人その他
日清戦争(a)1,123381,1617,182527,2348,305908,395
第1期4141135273,901703,9714,3151834,498
第2期 4112316423,182-3,1823,5932313,824
第3期 191628819451-4516426281,270
計(b)1,0169721,9887,534-7,6048,5501,0429,592
b/a %90.52,557.9171.2104.9-105.1103.01,157.8114.3


第1期の死没者に関して、大江氏は、靖国神社靖国神社忠魂史』第1巻(1933)をもとに集計しているが、原田前掲書が挙げる数値*1とは、異同がある。

*1:「日本は、約七万六〇〇〇人の兵力(軍人四万九八三五人、日本人軍夫二万六二一六人)を投入、日本軍の死傷者五三二〇名(戦死者一六四名、戦病死者四六四二名、負傷者五一四名)、中国人兵士・住民一万四〇〇〇人を殺害して、台湾を獲得する」とされている(101頁)。前回挙げた『日本軍事史』は、大江氏の研究を踏まえているようである。その数値は、植民地戦争全期にわたるものであった。