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日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

国家社会主義メモ

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090608/p1#cに関連して、補足&メモ。


■木下好太郎『ヒットラーと獨逸ファシズム運動』内外社、1932

現代ドイツに於ける急激なる国家社会主義の擡頭に就いては、資本主義世界の示顕する現代の未曾有の不況と、その一環をなすドイツ資本主義国家の特殊性、換言すれば、ドイツの政治的、経済的、社会的諸態様に依つて導かれるものであると説明する事も可能であらう。然しながら、此の一面、吾々は今日のドイツ、ファスシズムの興隆の最も重要なる原因の一つとして、党を実質的に指導する彼、ヒツトラーの役割を忘るる事は出来ない。

(16頁、原文ママ)


ここでは、「国家社会主義の擡頭」と「ファスシズムの興隆」が同義で用いられている。


著者は、弁護士。
同一人物だろうか、1936年、松永材や赤松克麿らで結成され、自由主義政治形態・政党政治排撃、日本的議会制度確立を主張した維新制度研究会の評議員に、木下好太郎の名がある(「昭和十一年後半期に於ける左右運動の概況」『現代史資料』4、みすす書房、1963)。


■ロバアト・A.ブレイディー著・日本青年外交協会研究部訳『ドイツ・ファシズムの精神と構造』日本青年外交協会出版部、1939


著者は、アメリカ人で、カリフォルニア大経済学同席教授。
訳者によると、本書の価値は引用文献の豊富なこと、実地でのインタビューを行っていることであるという。


本書の内容を見れば、ドイツ・ファシズムの中心思想を国家社会主義としていることは自明であるが、ここでは2点だけ引用しよう。


まずは、1935年末で、演劇愛好者150万人以上の成員を有した国家社会主義文化協同体による演劇の検閲について。

(引用者注―演劇の)原稿が審査される基準はゲッベルスによつて明瞭に示されてゐる。国家文化院の各分院の総裁の会合で演説した時に彼は言つた。
国家社会主義国家は原則として、芸術は自由である、随つて直感を組織でもつて置換へる如き企てはなされてはならぬ、といふ観点を維持しなければならぬ。本来の芸術は最大可能なる発展の自由を与へられる時にのみ栄えることが出来る。芸術或は文明一般を固着した制限内に閉ぢこめることが出来ると考へる人々は、芸術と文明に対して罪を犯してゐるのである。私が『芸術は自由である』と言ふ時、私は他方において、芸術に於ける絶対的に無政府的傾向が自由なるはけ口を与へらるべきだ、といふ意見を綺麗に払ひのけたいと思ふ。芸術がそれ自身の進化法則の中でいかに自由であらねばならずまたあり得るといつても、それは自分が密接に国民生活の基本法に結びついてゐることを感ぜねばならぬ。芸術と文明は国家といふ母なる大地に植ゑこまれてゐる。随つてこれは永遠に、国家の道徳的、社会的、民族的原則に依存する。

(108-109頁)


次ぎに農業と労働者に関する分野以外の一切の経済活動を統制する国家経済院について。

国家経済院顧問会の各員は、次のやうな誓約をせねばならぬ、「余は総統に変ることなき忠誠をもつて従者として随身する。国家社会主義の意思を充足し、余は余の全力を第三帝国の建設に捧げ、余の活動と余の協同者の活動に於いて、また余に委託せられた凡ての機能と権威を通じて、最高目標のみを追求し、総統の仕事を促進し、永続する真の民族共同体を確保する如くに、余の思想と精力の全部を捧げんとす。」

(312頁)