日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

西南戦争と白兵戦


関連
http://d.hatena.ne.jp/higeta/20090921/p1
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20090918/p2


軍学校の受験に関して調べていると、主に中学生を対象としていたと思われる『学生』という受験雑誌に、陸軍大将・浅田信興が、西南戦争の回想を寄稿しているのをみつけた。


■浅田信興「暁霧を冒して敵陣の中に駆け入り縦横無尽に清光の名刀を揮つて敵兵を斬捲つた想出」『学生』7-7、1916.7


西南戦争時、浅田は中尉であり、第4旅団、大沼大隊の副官として従軍した。


回想する浅田のテンションは高い。

忘れも為ぬ明治十年の八月十五日、彼の西南戦役に際し、日向の無鹿河畔で、軍刀を揮つて敵陣に躍り入り、腕の続く限り、斬つて\/斬りまくつた話をしよう。
 元来我輩が西南の役に従軍したのは、専念実戦の経験を得んが為めであつたから、職は大村(ママ)大隊の副官乍らも、自ら乞うて戦線に進み、爾来十数回の大戦小闘を、希望の如く実験するを得た。
(8-9頁)


その後、第2中隊長が負傷したため、浅田はその代理となった。
そして無鹿村へ突撃したときの状況に関して、次のように述べる。

我輩と大平少尉の両人、こゝぞと許り白刃を揮つて躍込んだ。すると部下の兵士等は、我劣らじと剣尖を閃めかして、突込み\/突捲くる。小山の上なる兵頭軍曹等は、敵の頭上より一入激しく猛射を浴せる。弾雨剣電、その猛烈なる名状出来ぬ程であつた。この時我輩は、真先に対抗し来れる一人の敵を真向から斬倒したが、それから後は混戦乱闘、人触るれば人を斬るの慨で、腕の続く限り斬つて\/斬捲つたが、何分心気は上衝せて焦燥るが為め、さて如何なる風に斬下したか、確たる始末は迚も記憶に存して居ない。だがその切味の愉快さは、未だに忘れず、確と心に覚えて今尚ほ壮快の血を沸立たしめる。
(12頁)


そして興味深いのは、戦場における刀のメンテナンスについてである。

丁度我輩が鹿児島の戦地に到着した第一戦、即ち花倉の戦に於いて、二三人に平打ちを喰はせたところが、刀身に少しの曲りを生じたので、其夜の事、刀剣に就いて一隻眼を有する大沼氏に鑑定を乞ひかたがた、これが所置を質すと大沼氏は先づ此刀を熟視して、上作の備前清光(無銘)で、切れ味は至極上々であるといひ、次で一時も早く血痕を洗ひ清め、寝刃を附く置けといふ。さて寝刃といふのは寝床の下に布いて寝る事である。
 で、氏の教に随ひ、早速血痕を洗浄し、曲りを直すべく、寝床の下に布いて置いた所ろが、一夜にして元の直刃に復した。それから後は絶えず小な砥石を衣嚢に納め、一撃を加ふる毎に、大沼氏の教の如く手入れをしたが、果して其言に違はず、我輩の如き未熟な腕
でも、稀世の業物である事を慥かに実験するを得たので、この十年の戦役には、我輩の一命をばこの一刀に托して、真に愉快に活動したのであつた。
(14頁。略字は、かなに直した)


砥石を携帯し、曲りを直すために刀を寝床の下に布いて寝る、というメンテナンスを行っていたというのだ。