日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

台湾とフィリピンの比較―「日台戦争」と「米比戦争」

■岡本公一「比較植民地主義試論」『歴史学研究』867、2010.6


アジアに現れた植民地帝国として、日本とアメリカは共通点を有する。日本は1895年に台湾を、アメリカは1898年にフィリピンを版図に組み入れた。それぞれ日清戦争後、米西戦争後、条約により戦勝国として現地住民の意思に関係なく、割譲したため、住民は独立を宣言して(「台湾民主国」「フィリピン共和国」)、抵抗した。そのため、軍事力の行使を余儀なくされ、軍政を布いた。


植民地帝国側の視点からすれば、「暴徒」の「反乱」に対する「鎮圧」であるが、歴史学では「植民地征服戦争」として捉え返す。台湾の植民地征服戦争については、以前、述べた。岡本論文によると、アメリカでも「反乱」「暴徒」と記されることが多かったが、近年になって変ってきたようである。アメリカ議会図書館は1999年に件名見出しを「フィリピン反乱」(The Philippine Insurrection)から「米比戦争」(The Philippine-American War)へと変更したという。日本における「日台戦争」の語の使用と軌を一にしており、興味深い。


日米とも植民地支配の準備ができないまま、新領土を獲得したため、英仏などの制度を参照しつつ、独自の支配体制を模索していった。岡本論文は、その点に関して、1.政軍関係、2.憲法適用の問題を事例に、日米(台湾とフィリピン)の制度を比較するものである。


ごく簡単にまとめれば、政軍関係については、日本では中央政府が直接、植民地を統治するシステムではなかったが、政府の一元的統制下に植民地統治機関を置いた。アメリカでは、軍民の調製が不完全なまま見切り発車し、しばらく「二重統治」が続いたと評価される。また憲法適用に関しては、日本では台湾の「超憲法的」状況が政府見解として否定されたが、政治上の表現形態と社会経済上の現実との間にはギャップがあった。アメリカでは、合衆国の既存の州と新領土が異なる法の下で統治されることが合憲とされ、フィリピンは植民地として経営されることとなったと評価されている。