日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

史料講読を通じた日中戦争史学習


■井口和起「史料講読を通じた日中戦争史学習」歴史教育者協議会編『アジア太平洋戦争から何を学ぶか』青木書店、1993


1990・91年度、京都府立大学文学部史学科の「日本史史料講読」の授業。
テキストは、『南京事件・京都師団関係資料集』収録の兵士の日記と陣中日誌で、
ともに現物のコピーが用いられた。


授業の目標は、次のとおり。

1. 日記の判読にはかなり困難がともなうと予想されるが、すでに活字となったもの以外でも読める能力を育てる。
2. 記事の内容を理解するためには、当時の軍事制度・兵器などについての知識を必要とするが、それらについても最少限の知識を習得する。そのためにはいくつかの関連史料の読解にもとりくむ。
3. 日中戦争の実態や歴史像について、その場に参加した一般の下級兵士の視点から各自が再検討する契機を与える。
4. 陣中日誌といういわば軍の公式の記録と兵士個人の記録である日記との対比を行い、両者の相違について考え、それを通じて史料というものの性格を考察し、いわゆる史料批判の考え方について学習する契機とする。
(200−201頁。機種依存文字は改めた)


出席者を適宜指名し、音読させつつ、
関連史料を用いて背景を補いながら読み進めていく。


授業後の学生の感想に関しては、以下の三点にまとめられている。

多くが強調する第一の特徴は、直筆の史料のもつ新鮮な印象が率直に語られていることである。「肉筆で見ることに迫力を感じた」とか「これ迄読んだ、日中戦争に関する文章よりも更にリアル」とかの言葉でそれは表現されている。第二に、内容の与えた新鮮な感動である。「兵士という内面からの視点ならではの記述内容の新鮮さ」とか「このような生の記録に触れてようやく戦争の残虐さがわかった」ことを「大きなショック」ときす。第三に、次の感想文の下線部に見られるように、これまで自分が持っていた歴史像の一部に大きな変化がもたらされるきっかけとなっていることが注目される。
(205頁)


「感想文の下線部」とは、以下のような内容である(※下線部以外も含む)。

兵士などは、まさに、大和魂のかたまりであり、常に天皇のことばかり考えているものだと思っていました。しかし、実際に読んでみると、天皇に関する記述などはなく、逆に冗談のような形で書かれてありました。戦地の兵士は国家のために、などということは、あまり考えていないものなのだということは意外であり、また、よく考えてみると、当然のように思えます。
(206頁)

従軍兵士による日記を読んで、戦争に対する見方がまた少しかわった。国家レベルの戦争と個人レベルの戦争とは当然のことながらギャップがある。しかし個人レベルの戦争の史料には今まであまり触れたことがなかったので、私は日本不信におちいりがちだった。この日記で違う方向から戦争に触れることができたと思う。
(同頁)


井口氏も、学生が「具体的な事柄」に強い関心を示すことを指摘している。

一般に最近の大学生たちは、抽象的・概念的な思考に不得手で、具体的な事柄から入っていく方がはるかに強い興味・関心を示してくれるし、さまざまに自分なりの思考を展開してくれるものだということは、それなりに知っているつもりであったが、このことを改めて思い知らされたというところである。
(207頁)

活字化された史料でもそうだが、
実際に史料を見てみると、受ける印象が変ったり、
ビビットに頭に入ってくる。
現物の史料ならなおさらである。


多くの人が実際に史料に触れる機会が増えればと思う。