日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

小林英夫『日本軍政下のアジア』―「大東亜共栄圏」と軍票― 第一章


第一章は、「中国戦線の物資争奪戦」についてです。


日本が中国における経済支配のためにとった政策は、次の通りです。

まず武力制圧したあと、行政機構と徴税機構を整備し、地主たちを組織して土地調査事業をおこなう。その一方、「敵産〔接収した相手側の財産〕」に本国の資産をあわせて中央銀行を設立して、円にリンクする通貨による幣制統一事業を実施する。つまり相手国通貨を回収して日本経済圏の一翼としてとりこんでゆく。さらに、資本輸出をおこなって経済開発の主導権をにぎり、さまざまな産業政策を展開する。
(31−32頁)


日本は軍事的に決定的な勝利を得ることはできませんでしたが、
以上のような政策を強引に進めようとします。


経済支配のカギとなるのは、通貨であり、
中国戦線の物資争奪戦は、「通貨戦争」のかたちをとっていきます。


通貨戦争は、具体的にどのようなものであったのでしょうか。
本章では、「満州国」、華北、華中・華南と地域別に考察されています。


満州国においては、幣制統一が成功します。
成功の理由は、中国東北各省の中央銀行である官銀号の銀を差し押さえたことです。
日本軍は、満州事変勃発と同時に何よりにも先駆けて銀を奪取したのですね。
この銀に三井・三菱の資金が加えられ、金融基盤が作られました。
また相手の銀行が、奉天軍閥という弱小資本だったことも成功の理由の一つとしてあげられています。


一方、華北においては、国民政府の通貨である法幣が相手ですから、勝手が違います。
日本は華北の銀行がもつ銀をねらいますが、蒋介石がその銀を封印し、奪えません。
結局、わずかな銀で、中国連合準備銀行(連銀)を設立し、連銀券による幣制統一を試みます。


しかし、連銀券は全然流通せず、都市と鉄道沿線の占拠地帯に限られ、
農村では法幣が、日本軍占領地のまわりにつくられた共産党の農村解放区(辺区)では辺区券が流通します。
そこで日本軍は、連銀券が流通していない地域を、「匪賊地帯」として討伐作戦を行っていきます。


辺区券と連銀券がともに流通する「混沌地区」においても、
実際に物資を購入するには法幣が必要でした。


共産党は辺区において、辺区券によって円系通貨の回収と使用禁止を行います。
円系通貨の辺区内流入を阻止しつつ、
回収した円系通貨をもって日本軍占領地域から必要物資を購入します。
また日本軍が必要とする食料や綿花などの物資の辺区外搬出を厳禁して、
辺区内非必需品を辺区外に放出して、物々交換で辺区必需品を購入します。


この政策は民衆の支持に支えられて成功をおさめ、
こうして日本は、物資獲得戦に敗れていきます。


華中・華南ではどうだったのでしょう。
上海に上陸した日本軍は、当初、日銀券を使っていましたが、
1937年11月より軍票を本格的に使用していきます。
日本経済に重大な影響を及ぼしかねない日銀券を使ったところに、
短期決戦を想定した軍部の甘さがあると著者は言います。
軍事的にだけでなく、経済的な観点からみると違った発見があって興味深いです。


華中・華南では、法幣の力が華北にまして強いため、幣制統一は無理な話で、
軍票が主要通貨とされていきます。


法幣は、なぜそんなに強いのでしょう。
それは、米英の支持があるからです。

1920年代後半、国民政府による中国統一を避けがたいものとみなし、
欧米各国は支援の方向性を明らかにします。
これに対して、日本は世界の趨勢に背を向け、
軍閥を利用した中国分割を続けようとします。


実際、法幣による旧通貨回収は成功をおさめます。

在上海大使館商務書記官石井光次郎の有田外相宛公信によれば、三六年八月までに六五%の回収実績をあげ、「〔三六〕年末迄は殆んど全部の回収が期待せらるるにあらざる乎」と報じている。また同じ外務省外交史料館史料綴りによれば、上海を中心とした都市部では、改革着手後二カ月後の三六年初頭で、八一%以上の回収実績をあげたことが報告されていた。
(44−45頁)

このように法幣が強力のため、華中において、日本は、
法幣をむりやり禁止することはせずに、軍票の流通範囲を拡げていこうとします。


軍票の価値を維持するために、ひとつには、
上海海関預金を極秘に流用するなどして価値維持資金を設定し、カネの面から支えようとします。


また中支那軍票交換用物資配給組合(軍配組合)が設立され、モノの面から、
最小の物資で最大の軍票を回収することが企図されます。


しかし、これらの工作は、成功しません。
上海においてすら、日本人だけが日本製品を買うときのみ軍票を使っているという状況でした。


日本軍は、村落を囲い込み、強制的手段で物資の流出を阻止しようとします(清郷工作)。
清郷工作地区のまわりは、高い竹垣や電流鉄条網がめぐらされ、ところどころに検問所が設けられました。
物資の搬出入には細かい規定が設けられ、証明書や許可証が必要でした。


これにより共産党=新四軍は打撃を受けますが、
共産党が広範な民衆の支持を受け始めると、清郷工作は瓦解していきました。