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日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

忘却の台湾


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■松田京子「戦争報道の中の台湾―台湾領有戦争の語りと記憶をめぐって―」『南山大学日本文化学科論集』6、2006.3

領土の「合法的」割譲と、その地で徹底した暴力が行使されたこととは矛盾するものではない。台湾や朝鮮の植民地化が条約によって「合法的」に行われた点をことさら強調する語りは、植民地支配が暴力の行使を伴ったことを「忘却」しようとする欲望と結びついているといえるだろう。
 台湾の植民地支配、それは植民地領有戦争というむき出しの暴力の行使を伴って開始された。
(31頁)

この時期(引用者注―1895.5〜96.3)の戦闘は日清戦争として一括して扱われることが多く、そのことも関連して、台湾が「戦場」となったということ自体が、現在の日本の歴史意識の中で「顕在化」しにくい状況を生み出しているといえる。
(32頁)

最後に、宗主国内部において同時代に共有され、一九四五年までは記憶しつづけることが企図された*1台湾領有戦争という出来事が、現在の日本の歴史意識において、ほとんど「顕在化」しないことの問題性を指摘しておきたい。台湾領有戦争の「忘却」という事態は、戦後の日本の歴史意識において、どの点に「忘却の圧力」がかかったのか、もしくはかかり続けているのか、その一端を示しているといえるだろう*2
(51頁)


さらに松田論文が引用する、酒井直樹『死産する日本語・日本人』新曜社、1996、VII頁。

私にとって学問のもつ政治性の問題は、…黙殺や否認そのものが、一定の差別や排除という社会的効果を産み出すことを示し、黙殺や否認をさらに黙認する者たちの共同体を作り出してしまうことを詳細に示すことである。つまり、黙殺や否認は制度化されるのであり、この制度化の結果として痛みをもたらさない過去の像が、その共同体の正統な歴史として普及することになる。

*1:松田論文は、戦争報道記事により、台湾での戦争がどう意味づけられたのかを分析するものである。近衛師団長・北白川親王の死は、日本武尊の「東夷征伐」とのアナロジーでその功績が讃美されたとしている。

*2:松田氏は、天皇制が軍隊と結びついていた歴史の「忘却」であるとする