日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

日仏の兵営と女性

○橋亭主人『兵営百話』文陽堂、1901年、64〜65頁

仏蘭西では下士官に営内に官舎を作つてやつて、隊務が終れば其処へ帰て休むといふことにしてある、我等の知人が前年仏蘭西の兵営へ行つた時に、営内の一隅にある家の側に、嬰児のおしめが乾してあるのを見たから、其営の士官に尋ねた処が、アレは当営の下士の家族が居るのじやと答へたそうな、其れなら下士は其妻を携て営内に住居するわけかと再ひ尋ねると、左様下士をして長く隊務に従事せしむるには此外に良法がないと答へたゲナ。
畢竟外国では男女の関係が非常に神聖にしてある、又婦人の位置が日本の如く卑くないから、沢山の壮者の居る営内に女を置いても、別段の醜事を惹起さないからよいが、日本では然うはいかぬ、忽ち風俗壊乱問題を惹起すだらう。


日本において女性が置かれていた状況が想像できる。

兵役の悪影響

○論説「兵営教育の欠陥」『読売新聞』1903.1.29−30

第一先づ兵営が罪悪を知らない純潔なる青年をして堕落せしむるといふことハ、今日何人も認る事実である、蓋し兵営ハ社会下層の壮年子弟の集る所で、中にハ目に一丁字なきものをさへ混て居るのであるから、其平常の話柄の如きハ、実に卑猥極るもので、其直接の監督者といふたら、矢張是等と其身分、教育に於て径庭のない上等兵と云ふものであるから、平常其兵卒の言動を取締る所が、却て自分の慰み半分、之を奨励する傾向があると云ふことである、而して啻に其談話の卑猥な許りでなく、彼等ハ其休日に相率ゐて常に汚はしい場所に出入りするのを唯一の快楽として居るといふ有様である、

第二の精神的虐待と云ふのハ、兵役の義務を果して帰る壮年子弟ハ、如何に勤勉な者でも、皆労働を嫌がる怠惰者となつて仕舞ふことである、其原因ハ大体二つある、一つハ兵営の精神教育と云ふものが、義勇奉公と云ふ唯非常に処する場合の道徳許り教へる結果、所謂社会的業務に対する熱心忠勇と云ふ様なことハ、之を忽にするからであらう、尚一つの原因ハ今の軍隊教育が常に百姓町人に柄にない武士的精神を鼓吹して、『貴様達ハ軍人でハないか、国家の干城でハないか』と、常に豪放、磊落、空威張の習慣を養はしむる結果、其壮丁が急に皆気位許り高くなり、遂に兵役が済んで家に帰ると、最早や昔の着実な考ハなくなつて、鋤鍬を取つて田野に労働することが嫌になり、さてこそ相帥ゐて巡査や憲兵の様な威張つて飯を食ふことを好む様になり、甚しきハ手の付けられない無頼漢になつて仕舞ふもの迄出来るのである、


このように兵士が堕落し、労働を厭うようになるのを防止する対策として、兵営内の娯楽の充実がなされる。