日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

「責任」概念にともなう「本質的な理不尽さ」

小浜逸郎「『天皇の戦争責任』議論を始末しよう」『天皇の戦争責任・再考』新書y090、2003

天皇の戦争責任・再考 (新書y)

天皇の戦争責任・再考 (新書y)

小浜逸郎氏は、責任に関して原理的な考察をしているが、
「本質的な理不尽さ」という考え方は興味深い。

個々の人間は互いに自分の身体の限界を超えたところにまで否応なく配慮をめぐらせる存在である。この事実を認めなければ、そもそも「責任」概念を構成し得ない。このことが、「責任」概念にともなう「本質的な理不尽さ」なのである。

ここで、身体の限界というとき、空間的な限界と、時間的な限界という二つの意味を含んでいる。
(24頁)

空間的な限界とは、私たちの身体が、直接に相見、接触することのできる範囲はいつもきわめて限られているということである。それにもかかわらず、「責任」概念は、私たちにその範囲を超えることを要求する。人間の社会関係は、必ずしも「いま・ここ」にいるのではない人との間に言語や感情を媒介として作りあげられた「観念」のシステムである。「責任」概念は、この「観念」のシステムによる非直接的な関係を想定することではじめてまともな概念として完成する。
(同頁)

また、時間的な意味での限界とは、私たちのだれもが、過去を取り返すことができず、しかも未来の精確な予測が不可能であるという事実である。それにもかかわらず、私たちは、過去の経験を動員しながら、未来の予測があたかも可能であるかのように相互に見なし合わなくてはならない。私たちは、とりあえずある予測を立て、そしてその予測を現在に引き寄せることによって、共同の目的を構成し、手段を準備し、遂行のための役割を配置する。そこに、いまだ到来していない事態に対する「責任」の観念もまた生まれる。
(25頁)