日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

昭10.5 三坂隆精「天皇機関説に就て」


■本部評議員・三坂隆精「天皇機関説に就て」帝国在郷軍人会札幌支部『良民』229、1935.5


著者は、札幌連隊区から選出された評議員で、
1935年3月14〜16日開催、天皇機関説が議題となった在郷軍人会本部評議会に列席した。

天皇機関説を唱ふる輩は我が国体を何と見る三千年来育くまれた吾人の信念を何と斛する。当今の学者必ずしも学者とは認められぬ、論語読みの論語知らずといふ文句がある、吾人は学者のいふことでも大に検討と戒心を要するものがある。国体は未来永劫動かぬもの信念は学問を超越せるものである。
(5頁)

此至宝たる明鏡は前述した通り国体を信念を以て研ぎましたものでその国体は 天孫降臨の際神勅により定たもので言はゞ自然に出来たもので人間が彼れ此れと創意工夫したものではない
(同頁)

考へて見るがよい三千年も不変不易で其の侭に伝はつて来たといふことが已に不思議ではないか、世界の何処にこんなものがあるか、日本の国に生を稟け日本人といふその誰でもが悉く此至宝を持ち合はすといふのであるから、こんな幸福なことはないではないか。外国カブレの学者が外国思想や科学位で是を分析したり解剖したり或は理屈で説明したりしようとするが、それが出来ると思ふて居るのがてんで気が知れない。
(5−6頁)


「已に三十年も前」からあった天皇機関説をとりあげることに関しては、次のように述べる。

今日は外来の思想も制度も文物も既に咀嚼し消化し終つたのであるから最早日本本来の面目に立ち還るべき秋である
(8頁)

外国模倣より目覚めよとの叫びは大分に以前より唱へられたのであるが、好景気時代は金力物質万能の熱にうかされて誰も耳かすものもなかつた時は流れて物質万能ばかりでは到底起死回生が期せられなくなつた。そこで再日本本来の姿に復せねばならなくなり天は茲に回転の機会を与へた、それが昭和六年九月十八日の柳条溝の一閃だ、此閃めきは我が国民の惰眠に対する警鐘であつた
(同頁)

天皇機関説の如き二三十年前の学説も亦此流に押し出されて来たわけで今問題にかつぎ出されたからといふて何の不思議もない不純のものを洗ひ去つて日本の本来の姿に還るのであるから寧ろ結構なことゝと云はねばなるまい
(同頁)