日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

風紀衛兵

○「月寒の兵営(一)」『北海道毎日新聞』明23.3.4

兵営に至りて第一に目に入るは営門の歩哨である更に営門を入れは必す衛兵所の一棟が建てられて居る、内地の連隊の居る兵営には此衛兵所に二十余名の兵士が居るが、月寒の兵営には七名しか居らぬ、此兵士を風紀衛兵と名ける、此衛兵なる者は営門の出入は勿論営内を警戒し、又軍人に有るましく服装を乱■乱酔放歌喧騒等の不体裁を取締る勤をするもので、是は平時兵営内計りてなく平時にも戦時にも屯営にも露営にも舎営地にも必す設けられてある 無のは唯行軍中と戦闘中丈である
此衛兵長を風紀衛兵司令と称へ下士である、此司令の下に一名の営舎係と云つて上等兵かある、其他は喇叭手と歩哨に立つ一ニ等卒だ 営舎係は備付物品の整理舎内の掃除入用の炭油等を大隊へ請求する等衛舎に関する一般の事を掌る、其他内地の連隊兵営では歩哨係と云ふか有つて歩哨を監督するが 月寒の兵営では営舎係か歩哨係を兼務して居る、喇叭手は規定の時間に号音を吹奏する役目で、営内の者は此喇叭に依つて起きもし臥もし食事もするのである、他の四名の一二等卒は歩哨と当番卒で、歩哨は俗に云ふ番兵で門に立番をして居る、当番卒と云ふのは大隊から日用品を受け取つて来たり水を汲んだり湯を沸したりするので兵営内の者に面会する時にも此歩哨に其由を話せは歩哨は当番と呼ふ、当番は門まて出て来て其由を兵営内の者に通し、差支へのなき時は又此当番兵か来て先導して其用便を足させる此れか当番兵と称するものである