日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

南方開発金庫とは

1941年末のアジア・太平洋戦争開戦以後、
東南アジアにおける通貨は、在来の通貨と軍票の2種類になり、
それ以外の通貨は使用を禁止されます。


在来の通貨は、発行機関が消滅したため、新規発行が行われなくなり、
また軍票は軍費支払の手段であって、企業に対する融資といった業務は
軍隊の経理では賄えない分野でした。


そこで復興開発のための金融機関が必要となります。
その金融機関こそが南方開発金庫です。

(除野信道「南方開発金庫券の発行と責任」『上智経済論集』17-1・2、1970.12、13頁参照)


●「南方開発金庫法」昭17.2.20 法律第33号

第一条 南方開発金庫ハ南方地域ニ於ケル資源ノ開発及利用ニ必要ナル資金ヲ供給シ併セテ通貨及金融ノ調整ヲ図ルヲ目的トス


主務大臣は、大蔵大臣。本事務所は、東京に置かれます。


支金庫は、まず
マニラ、パタヴィア、シンガポール、ラングーンに開設されます。
陸軍省経理局主計課「南方開発金庫支金庫設置ニ関スル件」昭17.3.13、アジア歴史資料センター ref:C01000302900)


運営や監督の根本方針は、大本営政府連絡会議で、
細部については、第六委員会(内閣に設置)で決定します。
支金庫の監督は、各地の軍司令官です。


●「南方開発金庫ニ関スル大本営政府連絡会議決定(案)」昭17.1.3 (アジア歴史資料センター ref:C01000382000 第31画像)

一、金庫ノ南方地域ニ於ケル業務ノ運用並ニ監督ノ根本方針ニ付テハ大本営政府連絡会議ニ於テ之ヲ決定スルモノトシ右根本方針ニ基ク細部事項ハ第六委員会ニ於テ審議シ之ヲ実行ニ移ス如ク措置スルモノトス

二、前号ニ基ク事項ハ之ヲ陸海軍中央部ヨリ夫々現地軍ニ対シ指示スルモノトス(本金庫ニ対スル通達ハ主務大臣ニ於テ之ヲ行フ)右ノ他本金庫ト支金庫及主張所トノ連絡ニツキ重要ナル事項ハ軍ヲ経由スルモノトス

三、南方開発金庫ノ支金庫及出張所ノ指揮監督ハ当該地域陸軍又ハ海軍ノ司令官之ヲ行フモノトス


資金は主に、臨時軍事費特別会計より、
軍票をもって借入れて調達されます。


●第六委員会幹事会「南方開発金庫運営ニ関スル件」昭17.3.31 (アジア歴史資料センター ref:C01000382000 第35画像)

第一 資金調達
 一、臨時軍事費特別会計ヨリノ借入
  (一)臨時軍事費特別会計ヨリノ資金借入額ハ別ニ定ムル開発金庫ノ融資計画ニ基キ地域別時期別ニ決定スルモノトス
  (二)右ノ借入ハ現地ニ於テ各支金庫又ハ出張所ノ申請ニ依リ現地通貨又ハ外貨軍票ヲ以テ実行セラルルモノトス


1943年4月から、南方開発金庫は、南方開発金庫券を発行し始めます。
すなわち、軍票が南方開発金庫券に置き換えられることになります。


南方開発金庫の目的は、法第一条にあるように、
資源開発のための資金供給と通貨金融の調整と謳われていたわけですが、
実際には、軍費支払いが主たる任務となっていきました。
南方開発金庫券は軍票とみなすことができます。

(前掲除野論文、13・15頁参照)