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日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

笠原ゼミと南京事件


笠原十九司「『南京大虐殺』と歴史研究―ゼミ討議を通して考えたこと―」『歴史地理教育』376、1984.12


1983年度、宇都宮大学教育学部東洋史ゼミにおいて
笠原氏は、鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』、洞富雄『決定版・南京大虐殺』をテキストに用いた。
一回のゼミで一章を進めるという形式。


鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』第一章を読んでの討議では、
出席者23名中、9名が南京大虐殺があったことに疑問を呈したという。
「まぼろし化」を批判したのが7名、中間的意見が7名であった。


第二、三章では、「百人斬り」がなかったことを扱うが、
5名が「まぼろし化」説に共鳴した。

この本を何のコメントもなしにいまの学生に読ませた場合、鈴木氏の百人斬り否定の論理に、かなり容易に引き込まれていくことがわかる。
(62頁)

「容易に引き込まれ」る原因はどこにあるか。
笠原氏は次のように述べる。

その原因としてまず考えられるのは、戦争に関する知識や認識がおそろしいほど貧困なことである。
(63頁)

かれらには、戦場や戦争社会の具体的なイメージがないから、「まぼろし説」に対して、「それは実際と違う」とか、「侵略戦争とはこういうものだった」と批判する基準がないのである。
(同頁)

日中戦争の歴史さえ学習しなかった学生が、日中戦争の侵略的性格や戦時体制下における言論出版統制の状況、戦場と日常生活の相違などについて、しっかりした認識をもっていることはまずない。戦争についての知識や認識が貧弱なために、『まぼろし』を批判する力がなく、ついつい引き込まれていくのである。
(64頁)


ただし討議の過程で、鈴木説への同調者は漸減し、最終的には2名となった。

学生の批判が集中したのは、(1)資料収集と取材が恣意的であり、手抜きをしている、(2)御都合主義的な資料引用、(3)加害者からの一方的証言、(4)戦場と日常生活場面とを作意的に同一視している、などの点であった。
(64頁)

そして洞富雄『決定版・南京大虐殺』を読んだ後では、学生の『まぼろし』批判は決定的になったという。


ある学生は次のように述べる。

今回、洞氏の『決定版・南京大虐殺』を読んで新たに感じたのは、ルポライターと歴史家の記述力の差、というよりも読者に与えるインパクトの差といったものであった。先週まで読んできた鈴木氏の著作は、内容はともかく、その具体性といったものは、本書と比べものにならないほどだったと思う。鈴木氏の本に見られた数々の疑問点が明らかにされたということである。
(64頁)

一方で、歴史叙述に関して、次のような意見も出ている。

どちらかというと、読んでいく上で、洞氏の本は非常に読みづらかった。それに比べ鈴木氏の方はと言えば割に読みやすくとっつきやすい部分をもっていた。これはどちらかというと、鈴木氏の方が書き方において人を感動させる方法をもちあわせており、また内容に読者をのめりこませるという書き方をしていたからではないだろうか。
(66頁)

全体的に資料が多く読むだけでもひと苦労である。たくさんの資料がせっかく呈示されているのに、読みにくくて途中でうんざりするような傾向がある。せっかくの資料なのにもったいないと思う。
(同頁)