日本近現代史と戦争を研究する

歴史学の観点から日本近現代史と戦争について記します。

南京事件犠牲者総数の決定は立証目的ではなかった


笠原十九司南京事件論争史』74-75頁において、
参考にされているのは、以下の記述である。


■戸谷由麻「東京裁判における戦争犯罪訴追と判決」笠原十九司・吉田裕編『現代歴史学南京事件』柏書房、2006

現代歴史学と南京事件

現代歴史学と南京事件

見落としてはならないのは、東京裁判では虐殺の犠牲者総数を決定することは検察側の立証目的ではなく、また判事等も総数決定を事件立証の必須要素だとはみなしていなかった点だ。端的にいうと東京裁判では、大勢の非武装化した中国人捕虜や一般市民が組織的あるいは頻繁に虐殺された、という主張が立証できればそれで十分であり、虐殺の規模が一〇〇人単位か、一〇〇〇人単位か、一万人単位か、あるいは一〇万人単位か、それはどうでもいい問題だった。さらに極端にいえば、仮に南京市民二〇〇〜三〇〇人が日本軍によって組織的に連行され銃殺された、という事実が立証されるだけでも、それを「南京大虐殺」と呼ぶのには事足りた。この意味で、先に述べた虐殺事件の生存者二人を弁護側が反対尋問しなかったことは、弁護側にとって致命的だったといってよい。なぜなら、反対尋問を放棄したことにより、弁護団は日本軍による組織的集団殺戮行為の少なくとも二件を、事実と認めたからだ。つまり、南京における大虐殺の事実を認めたのだ。
(142-143頁)


否定論が「でっちあげ」として東京裁判を捨て置くなか、
歴史学においては、東京裁判における訴追の内実に関する研究が進展している。