中村隆英・伊藤隆編『近代日本研究入門』東京大学出版会 1977年
シンプルかつ的確な記述で、入門書として最適だと思います。
古本では手に入りづらいのですが、多くの大学で所蔵していますね。
第一部、第二部は、各執筆者の、時代や問題の捉え方、見解を述べたものです。
第三部は、「研究の手引」で、初学者の方は一読をオススメします。
第三部から、重要と思われる箇所を若干引用してみます(適宜改行しました)。
【史料】
通常、当事者がその事柄のおこった時点で書いた文書・記録を第一次史料といい、それ以外のものを第二次史料として区別し、第一次史料を最も依拠すべきものとして重視する。それは、伝聞がその伝達の過程で、時間の経過した後の記述がその時間の推移の過程で、ともに変形している可能性が大きいからである。
だから通常、日記や書翰や意見書などが第一次史料として重視される。ただ第一次史料といっても、そこに書かれていることを即事実としてそのまま受け入れるわけにはいかない。
(264頁・伊藤隆)
【聴き取り】
研究の対象が、直接それに関係した人びとが今日なお生存している可能性のある位近い時代のことである場合、聴き取りは研究にとって、後述のような制約を充分に念頭においた上で、極めて重要な情報源である。
第一に、直接に質問をし回答してもらえるということであり、回答に対して再質問をして回答してもらう可能性があり、これは文献史料が一方的であるのと違って聴き取りの最大の利点である。第二に文献資料について当事者からその背景や解釈を聴くことが出来るだけでなく、現在われわれが利用しうる文献史料に書かれていない多くの事実を聴く可能性があるということである。それだけでなく、元来文献史料に記載されぬ事柄―書き手にとっても受け手にとっても当然所与となっている事柄で、しかも現在のわれわれにとって必ずしも所与ではない事柄―や、事柄の背景にある人間関係(それはしばしばその事柄を理解する重要な要素となっている)などを聴くことが可能である。そして第三に、それを通じて文献史料を提供してもらうキッカケが生ずる可能性をもっていることである。
(279頁・伊藤隆)
このあたりは、多くの史料を発掘してきた伊藤氏らしい実践的な記述となっています。
では、聴き取りを史料として利用する際、注意することは何か。
第一に相手の話はしばしば不正確である。年代の間違い、一つの事柄と似た他の事柄との混同は避けえない。記憶の不正確さは、自らを省みれば当然の事だが、極めて特殊な人を除けば記憶はあいまいなものであり、さらにその記憶のもとになった同一時点での共通の経験・見聞でも人によって極端に異なっていることはしばしば体験するところである。これらは他の諸史料をつき合わせて充分に検討しなければならない。
だが、第二に、それよりももっと重要なのは、人間は絶えず新しい状況の下で自己の過去というものを再整理して、それによって自己の再確認をしながら生きているということである。従って思い出された過去はしばしばその人にとっての今日的価値に強く影響されているということである。これは一般に回想のもっている共通の問題である。しかも聴き取りの場合、時としてより若い質問者のために話を合わせるということもありうるのである。
(282-283頁・伊藤隆)
記憶違いや年代等の間違いが起こることは、伊藤氏の言うように、自らのことを考えれば、
よくわかることですね。また現在の価値観が過去に影響を及ぼすのも自然です。
しかし、これらのことがあるからといって、証言を全否定するという乱暴なことはできないでしょう。